1953年、妻のSusanとサンタフェに移り住んだ有名なテキスタイルデザイナーAlexander Girardが、この街で最も有名な住人であるGeorgia O’Keeffeと最初にどこで出会ったのか、誰も正確には知りません。当時も今も、さまざまな分野のアーティストを魅了するサンタフェには、クリエイティブな才能が集まっていました。GirardとO’Keeffeは、1930年代から1940年代にかけてアーティストや俳優たちの憩いの場として知られ、1966年に彼が再設計して高い評価を得た「コンパウンド」で出会った可能性があります。
いずれにせよ3人はO’Keeffeが亡くなる1986年まで友情を育み続け、よく一緒に食事をしたり、お互いの家に泊まり合ったり、メキシコやモロッコといったアートにあふれる土地で共に休暇を過ごしたりしました。O’KeeffeとGirardは、アートと文化に対する共通の感性を通じて絆を深め、やがてお互いの作品に敬意を払うようになり、そして一緒に何かを作り上げようというアイデアがいくつも生まれました。O’Keeffeは、Girardの「Italian Villa in Multiple Visions(さまざまな視点から見たイタリアの別荘)」という作品のために小さな水彩画を描きました。これは、サンタフェの国際民族芸術博物館に展示されたもので、Girardが収集と展示デザインの両方を手がけたの総合芸術(ゲザムトクンストヴェルク)の一部です。
アビキューの自宅にお気に入りを石を飾る有名な石マニアO’Keeffeは、サンアントニオの世界博覧会でHemisFair 1968の一環として開催されたGirardの展覧会「The Magic of a People」に使う石の選定、展示の企画に携わりました。「オープニングに来てくれるなんて、本当にうれしいよ」 - O’Keeffeに宛てた数ある手書きのメモの1つでGirardはこのように言っています。「石たちのことも、きっと気に入ってくれると思う。」
Girardは、今ではアイコン的存在となったO’Keeffeのアビキューの家のインテリアや家具づくりに、非公式ですが協力しており、Girardの親友で共同制作者でもあったCharles and Ray Eamesを始めとした、ミッドセンチュリーモダンのデザイナーを迎え入れました。O’Keeffeは、Eames夫妻の革新的で無駄のないデザインを高く評価しており、それは彼女自身の美意識ともぴったり合うものでした。
「実用的で見た目にも美しい家具に、彼女は長い間惹かれていました」と、Georgia O'Keeffe美術館の助手司書であるBonnie Stewardは言います。「本当に現実的かつ合理的な人で、長く使えるものを求めていました」。Eames LCWなどのEamesデザインをいくつか持っていたのですが、Eamesから椅子の試作品が贈られてきたときは本当に喜んでいました。あまりにも気に入ったので、もう1脚欲しいとお願いしたほどです(そして、もらえました)。GirardもまたO’Keeffeに、自身の生き生きとした印象のテキスタイルデザインを贈り、O’Keeffeはそれをクッションにして使っていました。2人とも色やパターン、質感を、仕事でも暮らしの中でも自由に試すのが好きで、それを楽しんでいました。
「2人の友情は、個人としてもアーティストとしても、お互いにとって間違いなくプラスになっていました」と、Georgia O’Keeffe美術館の歴史的建造物のディレクターGiustina Renzoniは言います。「2人がお互いに刺激し合っていたのは間違いありません。」
撮影者不明。Georgia O’Keeffe、Alexander Girard、Susan Girard。Nacimiento展にて(1961年)。Alexander Girard所蔵。AR.00019, Box 30, Folder 4. Bartlett Library and Archives, Museum of International Folk Art, Santa Fe, NM.
Ray Eamesと「ロックフィッシング中」のGeorgia O’Keeffe (R)、ニューメキシコ。1953年、Charles Eames撮影。© Eames Office, LLC.All rights reserved. 無断複写・転載を禁じます。